昭和44年3月11日 夜の御理解
中村良一
今日、午前中の奉仕の修行中に、筒井から、時々参ってくる人があります。その方が、参ってきて、今度、二番目の娘さんが、縁につきました。なかにも、色々お願いに来てから、万事万端にお繰り合わせを頂いて、まぁ、いよいよあの、どう言うんですか、家でお客をするためにね、金が要りますから、銀行からお金をとってきた。それで、まぁ、相当、まとまった金だったらしいですはね。その、お客のお金ですから。それで、やっぱり、あんな時、てんやわんやしとるもんですから、置きどこを忘れたんです。それでそれがまぁ、なくなったわけですはね、いわゆる。もう、どんなに探してもないと。それで、先生あの、家にありましょうか、もう、人手に渡って外に出ておりましょうかとこういう訳なんです。それで、私が申しました。もし、外へ出とったら、どうするかと、私がいいましたら。いいえ、もう大体、見当はついとりますとこう言う。ふっふふふ、(笑い)ね。それから、○○さん、そげな根性ではね、私は、おかげは例え、例えね、うちにやったっちゃ出てこんよと、私が言うた。ね。例えば、自分が不注意で、お金の置き所を忘れとってですよね。そして、いよいよ、探して、なからなければ、それこそ、人に、もう負わせておるわけです。もうあれじゃろ、これじゃろ、もうとにかく、出入りが沢山じゃけれども、まぁ、そういう癖のある人は、あの人より他になかけん、もう大体、見当がつけとると、こういう訳なんです。だから私がね、そういう根性ではね、私はおかげ頂かんとこう言うた。ね。そして、私が、日頃、頂いておる教えを、どこに身に付けておるかと、私が、今日は、少しね、ひどく、その話しましたら、涙ぽろぽろ、娘と二人参ってきとって、今日はその三番目の娘と参ってきとる。で、それがその、今度その、二番目のお姉さんが、運転しよったのが、あの、嫁ったもんだから、その、三番目の娘に、今度、運転の免許を取って、三番目のが、このまた、植木店ですから、山口辺りまで、やっぱ、月に何回か行くらしいですよ。それで、どうでもまた、お願いをしとかんならんからと言うて、それを連れてくると同時に、もう、諦めてはおるけれども、そのなくなった金のことを、今日、こうしてお伺いをする訳なんですよ。ね。家にあるだろうか。外に、もう出ておるだろうか。外に出ておるなら、もう人手に渡っておるという事なんです。それでその、大体、見当はつけておるけれども、さぁという訳にはいかんから、もう、諦めな仕様はないと言うわけです。なら、先生が、うちにあると言いなさるるなら、その、どういう風な気持ちだったか知らんけれども、そう言うわけですよ。本当に、金光様のご信心をさせて頂いておってね、例えば、自分の不注意なことをお詫びをせずにね。そして、違わん、もうあの人じゃろうと、家中の者が決めとると。例え、家中の者が、決めとったっちゃ、あんただけは、そんなことがあっちゃいけんと。何のため、あんた、参って来よるかと。もう、十何年、参って来よっとです、この人は、参ってくるのは。ね。それでね、あんたが、そういう根性をね、ここで本気で、神様に、私が不注意であったことを御詫びしなさいち。例えば、ほんなら、何日間でも、その、あられもない疑いをかけて、その人に対してお詫びする気持ちになりなさいと、ね。だから、その人に言わんで良かけん、神様に、今日はお詫びして帰れち、ね。そしたら、私は、問題は、出てきさえすればよかろうがと、私は。ね。出てくるようにお願いするけん。そしたらもう、本当に先生、悪うございましたち言うてから。私に断り言うたっちゃ出てくるもんかい、神様の・・・。(笑い)はっははは、もう本当に、初めて参ってきた娘が、腹けーとるですもん、私が、あんまり、お母さんが、ここでおごられるもんだけ。ね。けどもその、お母さんも、やっぱ、そげな風で、月、何回かでも参ってくるもんですから、そこを分からせて頂いて、それこそ、心から、ほんなこて、人ども疑う様な事じゃ、おかげは受けんことが分かって帰ったんですよね。そしたら、午後、今、私、聞かせて頂いたんですけれども、午後、その、どげな風で、出てきたか知らん、出てきとるです。それで、三橋先生がお取次ぎしてから、おかげ頂いたと言うて、もう、それこそもう、おかげ頂いたけんち言うて、直ぐとお礼に出て来るとじゃなかですばってんね。やっぱり、それだけの金額のものが、本当に出てきたものですからね、やっぱ、直ぐ、もう筒井からですけん、もう相当な道のりをね、やっぱ、お礼に出て来ている訳です。だから、ほんなら、そういう様な、まぁ、おかげ話のなかから思うてです。お互いがね、例えば、本当に、人を疑うちいう事は、いや、神様がお嫌いになる根性を持っとって、おかげの受けるはずはない事が分かるでしょうが。これはその、金の無くなったとかね、そげなこっじゃないですよ、ね。
私が、今、原さんのお取次ぎをさせていただいてから、千恵子さんの夫婦のことについてからでもですたい。それと同じ様な事を感ずるわけです。ね。考え方が間違うとると、私が。ね。それはもう、なるほど、医者はその、もう、いわばもう、不治の病のように言うてる訳ですよね。あの、息子さんの、娘婿の、今度は。けれども、神様のおかげを頂けばね。けれども、そういう根性は、やっぱ、改めなきゃ、おかげにならんと私は思う。これは、病気だって、人間関係だって、経済関係だって、理屈は同じこと。ね。自分が金を無くしとって、あの人じゃなかじゃろうかと言ったような、そういう、あられもない、例えであってもです、ね。神様に、詫びこそしなければならんのに、人を疑うような、そういう根性がいけんのです。さぁ、それが、本当に、涙の出るほど、相すまんと思うたら、帰ったら、出てきたじゃないですか。ね。これはもう、万事のことに同じこと。金光様のご信心ばっかりはね。自分の、本当に、その根性と言うか、その心掛けがね、間違うておって、おかげの頂ける筈はないて。そこを改めさせて貰う。そこを、芯から済みませんでしたと、この、お詫びをする心にね、おかげがあるという事が、その、今の話の中からでも分かるですよね。どうぞ。